冬の時代でも仮想通貨を楽しむために -一神教やめませんか?-

冬の時代でも仮想通貨を楽しむために -一神教やめませんか?-

こんにちは、くま @kuma_mbc です。この度、CRYPTO TIMES様でコラムを書かせていただくことになりました。

さて、今年も三分の一が終わりましたが、いかがお過ごしでしょうか。

特にこの冬の季節の間、仮想通貨も冬と呼べるような状況が続いていました。

そんな冬の時代には、どうしても何かにすがりたくなる気持ちが出てくると思います。そんな年始からの現状を振り返りながら、何故そういう状況に陥るのかについて考察していきたいと思います。

バブル崩壊と失望

1月の仮想通貨バブルの際には、自分自身も含め多くの方は、まだ価格が上がり続けると考えている雰囲気がありました。

https://twitter.com/maki_trader0205/status/984341248478605313

しかしながら実際は幻想であり、上記のアンケートでは、回答した方の半数以上が、仮想通貨に限らず1月から4月までの投資で損をしているという状況です。

twitterなどのSNSの雰囲気も、非常によいものであった12月から1月と異なり、バブルの崩壊から4月中旬まで、過疎化とともに失望や攻撃的な印象が強くなっていきました。

また、一つの通貨を信じてホールドし続ける人や、twitter、discord、LINE@などで特定の人を信じる人が増え、一種の宗教のようなものも感じていました

増えていると感じたのは個人的な印象ではありますが、こういった心理状況は説明できるのだろうかと思い、探していたところ「一神教 vs 多神教」という書籍をみつけました。

この書籍では、個人を対象とする精神分析理論を集団や宗教というものにあてはめて、一神教と多神教に関する考察を述べています。

これは今の仮想通貨の現状として当てはまるところがあると思い、いくつか引用したいと思います。

困難な状況に置かれた時に一神教は広まる

一神教は歴史上、困難な状況に直面している時に大衆に浸透すると述べられています。なぜ、苦しくなると大衆は一神教を信仰するのかについて、以下のように述べています。

 

人間というのは、幸せにのんびりふらふら暮らしていたほうが、本当は楽なはずです。人間は本来、堅苦しい世界に生きるのは嫌なはずです。にもかかわらず、堅苦しくなるのは、追いつめられて、このままではいけないことは確かだが、何がどうなっているのか考えてもわからないとき、考えることをやめ、事態を単純化して何か絶対的なものをひとつ見つけ、これさえ守ればいいんだ、救われるんだと決め込んで安心しようとするするからです。

身に覚えのある方もいるのではないでしょうか。

厳しい状況が目の前に現れ、何をしていいかわからなくなると一つのものにすがりたくなるのは、人間の”性”ともいえるべき、しかたのない行動といえるかもしれません。

7月に起きたハードフォークの際のビットコインとビットコインキャッシュの対立も、困難な状況下における一神教同士のぶつかり合いだったという考察も面白いと思います。

また、一神教の強さについては以下のように考察しています。

 

強いからでしょうね。病気が重いほうが強い。狂信者は強い。絶対こうでなければならないと信じている奴と、こうでもいいし、ああでもいいと思っている奴とが喧嘩すれば、勝負は初めから決まっています。

結局、一神教徒が世界を植民地化していったわけですよ。多神教のほうは負けちゃうんですよ。

 

 

抽象的な絶対神を求めるのは、一つの逃げ込み先というか、自我に一つの欺瞞的な安心感を与える幻想なのです。唯一絶対神を信じることができれば、精神的に非常に楽なのです。だから、誰にも唯一絶対神を信じたい誘惑はある。そういう誘惑に抗しなければならないということを言いたいわけです。

仮想通貨界隈でも、一つのものにとらわれず、柔軟に対応している人よりも、強く言い切っている人、信じている人の方が声が大きく、さらに人を集め、大きくなっているのが現状だと思います。

ただし、それが必ずしも正しいとは限りません。

誰でも、この通貨を買えば、この人のシグナルに乗れば、このテクニカルを使えば、このbotを使えば絶対儲かる、救われる、といった”唯一絶対神”を信じたい誘惑があると思います。

しかしながら、市場は常に変化しており、このような誘惑に抗わないと一時的に勝つことはできても、長期的に資産を増やすことは難しいと考えます。

一神教が必ずしもいけないわけではない

間違えないでいただきたいのは、多神教の中には一神教があってもよいですし、必ず多神教でなければいけないと強要するのは多神教ではないということです。

著者は宗教観においても、一神教は他のものを認めない絶対的なものであり、相対的な価値観をもつことが非常に重要だと述べていますが、これは仮想通貨にもいえると思います。

今回は詳しく述べることは控えますが、私は通貨やプロジェクトにも、コンセンサスアルゴリズムなどによって、長所短所があり、適材適所の技術を用いることが重要であると考えています。

ですので、いくつかのプロジェクトが共生していくことになると考えていますし、議論はすれど、互いを批判をする必要はないと思っています。

もしもあなたが、他と比較し、長所短所を検討し、自分で考えて一つの通貨に絞ることが結論であったなら問題はないと思います。

ただし、その通貨しか調べていない、誰かがいったから、なんとなく、といった理由で一つの通貨に絞ることは非常にリスクが高い選択だと思います。

まとめ

開発者やプロジェクトの運営者は自分の進む一つの道を信じ、邁進することが大きな成果につながるかもしれません。

しかなしながら、少なくとも投資する側が同じことをする必要はありません。これは通貨同士の問題だけではなく、仮想通貨以外の投資商品も検討してみること、技術としてもブロックチェーン以外のものに目を向けてみることにも繋がります。

ブロックチェーン技術はまだ発展途上であり、現時点で非技術者が内輪もめしたところでなんの意味もありません。むしろ、皆で儲けたいのであれば、界隈を盛り上げまだ仮想通貨に触れていない人にも入ってきていただく必要があります。

仮想通貨の春がやってくる雰囲気も感じられる状況になってはいますが、春が来れば、また冬も来ると思います。そのためにも、今一度現状を見直してみてはいかがでしょうか。

ニュース/解説記事

Enable Notifications OK No thanks