ヴィタリック・ブテリンってどんな人?Ethereumを生んだ【天才】の人生とは
Crypto Times 編集部
イーサリアム(Ethereum)の話題が挙がると頻繁に名前を聞くVitalik Buterin(ヴィタリック・ブテリン)という人物ですが、彼は一体誰なのでしょうか?
今回は天才プログラマーとして名高いヴィタリック・ブテリンの人生を紹介していきます。
目次
幼少期から群を抜いた才能を発揮
ヴィタリックは1994年にロシアはモスクワでコンピュータ技術者の父親とビジネスアナリストの母親の間に生まれます。ヴィタリックは6歳の頃に一家でカナダへと移住しました。
カナダの小学校に入学したヴィタリックは小学三年生でトップのクラスに入り、数学やプログラミング、経済などの分野に興味を示し始めます。この時点でヴィタリックは超がつくほど優秀な一握りの生徒を対象にするギフテッドプログラムに編入しています。
ヴィタリックはトロントにあるAberald Schoolという高校に入学し、そこで4年間を過ごします。彼自身この期間を人生で最も生産的で興味深い4年間だったと表現しています。同校はヴィタリックの教育に対する感覚と態度を劇的に変え、彼を貪欲に学びを求める一人の人間へと成長させました。
一方で13歳から15歳の頃はWorld of Warcraftというゲームに没頭します。しかし、ある日気に入っていたキャラクターのステータスが運営によって突如変更され、中央集権への不信感を抱き始めます。ここがヴィタリックを仮想通貨という分散構造を活用したテクノロジーの世界へと引き込んだターニングポイントなのかもしれません。
ヴィタリックとビットコインの出会い
2011年に父親からビットコインについて聞いたヴィタリックはそこに固有の価値を感じられず、将来的に失敗するだろうと予想しました。しかし、何度かビットコインの名を耳にするうちに興味を抱き始めます。その後ヴィタリックはビットコイン専門雑誌でライターとしてアルバイトを始めます。
仮想通貨に没頭し始めたヴィタリックはビットコイン関連のフォーラムやネットワーク研究に多くの時間を割くようになりました。当初は仮想通貨という要素に興味を惹かれていた彼ですが、コミュニティに参加するうちにビットコインの背後に存在する無限の可能性を秘めたテクノロジーに注目し始めます。
ビットコイン専門雑誌に掲載されていたヴィタリックの記事はルーマニアのビットコイン愛好家Mihai Alisieの目にとまり、二人は後にBitcoin Magazineを創刊します。ヴィタリックは同誌でヘッドライターとして活動を始める傍、暗号学者Ian Goldbergの元でリサーチアシスタントとして働いていました。
ヴィタリックは2012年にウォータールー大学へと進学し、かねてから興味を持っていたコンピューターサイエンスを専攻します。しかし、2013年にカリフォルニア州サンホセで開催されたビットコインカンファレンスにBitcoin Magazineの代表として参加したヴィタリックは衝撃を受けます。彼はこの瞬間自分が今まで参加してきたコミュニティは実際に存在し、本格的に参加する価値があると確信します。
彼は直後に大学を中退し、今まで貯めてきたビットコインを使って世界中を見て回る旅に出発します。ヴィタリックは旅の中でビットコインを受け入れている小さなレストランや店を発見したり、ビットコインATMを発見したりしました。しかし、これらのほとんどはビットコインをお金としてどう最大限活用するかという事に焦点を当てているにすぎませんでした。
また、後のインタビューで語っていますが、ヴィタリックは大学中退後にRipple社に務める予定でしたが、就労ビザの関係などで話は流れてしまったそうです。
2013年10月、ヴィタリックはイスラエルを訪れていました。そこで彼は「CovertCoins」と「MasterCoin」と呼ばれるプロジェクトの運営陣に出会いました。これらのプロジェクトはビットコインブロックチェーン上でのトークン発行や、ファイナンシャルコントラクトの実行などブロッックチェーンを様々な用途に応用する事に焦点を当てていました。
ヴィタリックはこれらのプロジェクトが採用していたプロトコルを見ているうちに、Turing-Complete Languageを使う事でプログラミングを一般化する事ができると考えるようになりました。この言語はコンピューターにアルゴリズムと一定の時間、メモリーを与える事で特定の問題を解かせるという言語です。
ヴィタリックはこの発見を元に既存のプロジェクトに新たな提案をしますが、彼らの中にはまだ時期尚早だと反対する人もいました。
イーサリアムに人生を賭けた男
ヴィタリックは2013年後半に自身のアイディアをまとめたホワイトペーパーを公開します。彼が知人に送ったのをきっかけに、およそ30人がヴィタリックとコンセプトについて協議しました。ヴィタリックは彼らのうちの誰かが重要な問題点を指摘してくれると期待していましたが、それは決して起こりませんでした。
当初のイーサリアムのコンセプトは通貨としての機能にフォーカスした物で、今現在のイーサリアムとは全く違う物でした。ヴィタリックをはじめとするメンバーはなんども議論を重ね、2014年1月に分散型ファイルストレージを簡単にプログラミングできるという事に気付きました。
そして、この発見からイーサリアムは現在の形へと近づいていくようになりました。ヴィタリック率いるコアチームはイーサリアムのベースとなる構想をまとめたホワイトペーパーを発表し、2014年2月に初のプロトタイプを世に送り出します。
この段階でチームはEtherのクラウドセールを行う事を計画していました。Etherはビットコインで売られ、累計で31,000BTC、当時の価値にして1800万ドル(約20.3億円)を売り上げました。
ヴィタリックは同年にPayPalの創業者ピーター・ティールが選ぶティール・フェローシップに選ばれ10万ドル(約1100万円)の資金を獲得しています。
イーサリアムは今でも過去3番目に最も成功したクラウドセールとして知られており、The Wall Street Journalをはじめとする大手企業からも支援されています。
イーサリアム財団はネットワークのオフィシャルローンチに当たって複数のプロトタイプを開発しました。オリンピック(Olympic)と名付けられた最後のプロトタイプで財団はバグバウンティを行う事を決定しました。このバウンティでは25000ETHがバグ発見者に配布されました。
2015年の7月30日にはFrontierと名付けられた最初のパブリックバージョンが公開されます。このバージョンも非常にシンプルな構成になっており、テスト段階のような状態でした。その後、監査者とデベロッパーによってプラットフォームが安定してきたタイミングでHomesteadバージョンがリリースされました。
Homesteadへのアップデートは2016年3月に行われ、次世代のブロックチェーンを実証するべく公開されました。前バージョンからは大幅なアップデートが図られており、実用性の面でも大幅な改善が行われました。
この時点でイーサリアムは仮想通貨市場で圧倒的な存在感を放っていました。当時のビットコインのノードが6000だったのに対し、イーサリアムは5100と仮想通貨の王に匹敵するところまで迫っていました。そして、MicrosoftやIBMなどの名だたる企業もイーサリアムのプラットフォーム上でプロジェクトを計画し始めました。
そして、次の大規模アップデートであるMetropolisは2つのパートに別れています。最初のパートはByzantiumと呼ばれ2017年の9月から10月ごろに予定されていました。しかし、延期に延期を重ね実装は予定よりもだいぶ遅れて行われました。
イーサリアムのアップデート最終段階であるSerenityは現時点では予定日などは一切公表されておらず、いつ頃実装されるのかは未定となっています。
The DAOのハッキング事件とハードフォーク
イーサリアムは分散型アプリケーション(Dapps)の他にもDAOというものをサポートしています。これは、「Decentralized Autonomous Organization(分散型かつ自主的な組織)」の頭文字を取ったものであり、他のブロックチェーンプロジェクトのように非中央集権化を目指したものだと言えるでしょう。
DAOはデベロッパーによって書かれたルールによって運営されていくシステムになっており、まず最初にクラウドファンディングが行われます。ユーザーはこの段階でトークンを購入し、資金をDAOに投じる事ができます。
そして、このクラウドファンディングが完了するとDAOは実際に運営を開始します。メンバーはDAOの運営方針に関して提案をする事ができ、トークンを購入したメンバーはそれに対して投票する事ができます。
The DAOはDAOの一つに該当するプロジェクトの名前で、ドイツのスタートアップによって発足されました。このプロジェクトではユーザーが違いに車や家などをシェアできるとされており、分散型のAirbnbとも呼ばれていました。
そして、The DAOはクラウドファンディングで11,000人のメンバーから、1.5億ドル(約169億円)という巨額の資金を調達する事に成功しました。
しかし、The DAOはハッキング被害にあってしまいます。この件は当時大々的に報道されたので耳にした方も多いと思います。このハッキングの原因はイーサリアムのネットワークではなく、完全にThe DAOのシステムにありました。ハッカー本人もイーサリアムではなく、The DAOの脆弱性をついたと証言しています。
ハッカーは合計で5000万ドル(約56億円)相当のETHを盗み出すことに成功しました。直後にイーサリアムの価格は20ドルから13ドルにまで暴落しました。
The DAOの返金問題はイーサリアムコミュニティを巻き込むほどの大事にまで発展しました。ソフトフォークなどの解決案も提案されましたが、コミュニティの投票などを経て最終的にはハードフォークという案にたどり着きます。
これがイーサリアムクラシック(ETC)の誕生した瞬間です。しかし、2つのブロックチェーンは192000ブロックまでは全く同じであり、イーサリアムコミュニティだけでなく、仮想通貨界隈全体に混乱を巻き起こしました。
現在は全く別の通貨として扱われているイーサリアムクラシックですが、機能やブロックチェーン自体もほぼ同じものであり、今後どのように差別化を図っていくかに注目が集まっています。
ヴィタリックと日本の以外な関係性
ロジャー・バーと異なりヴィタリックは特に日本との関係性が表には出てきませんが、実は何度か日本を訪れていたりと意外な接点があるんです。
2017年の8月に渋谷のバーで開かれた東京ビットコイン会議というイベントにおいてヴィタリックは1時間弱の講演を行ったそうです。この時はイーサリアムのスケーラビリティ問題解決に注力しており、技術的な内容の講演だったとされています。
また、今年の3月27日には外務大臣を務める河野太郎氏と面会しています。河野氏は以前から仮想通貨やブロックチェーン関連のテクノロジーに関連を示しており、ヴィタリック氏からもイーサリアムの紹介や将来性などについて話をしたと言います。
さらにその2日後の29日には東京大学にて開催された開発者向けのイーサリアムイベントにも出席しています。ここでは会場に集まったイーサリアム関連の開発者らに向けてPlasmaやShardingなどの説明を行いました。
現在のヴィタリック
ヴィタリックは現在シンガポールに拠点を構えています。当初は3人で管理していたイーサリアムのプロトコルですが、彼は近いうちに自分の存在の重要性が下がってくるだろうと予想します。
ヴィタリックはイーサリアムキラーになり得るのはイーサリアムのみだと主張し、プラットフォームの将来にも楽観的な考え方を持っています。ヴィタリック率いるチームはさらに安定し、安全で効率的なバージョンのイーサリアムの開発に専念しており、スケーラビリティ、セキュリティ、コストなどの点が課題になってくるとしています。
ヴィタリック・ブテリンが見据えるブロックチェーンの将来
ヴィタリックはここ2,3年でブロックチェーン技術のスタンダードが確率されつつあり、事件やハッキングなどの被害への対策も進んでいると指摘します。
一方で真の分散型という点で見ると、分散型ネットワークを謳っておきながら中央の管理体が利益を独占しているサービスなどがある事を問題視しているようです。
イーサリアムに関しては、今後利便性とスケーラビリティのバランスを取りながら成長させていく事で、システムをより良い物にしていきたいという目標があるといいます。また、ブロックチェーンの技術をより安く、簡単に、安全に使えるように取り組んでいくとしています。
ブロックチェーン界が誇る天才はこれからも輝き続ける
24歳という圧倒的な若さながらブロックチェーン界隈で活躍を続けるヴィタリック・ブテリンですが、彼のポテンシャルはまだまだ完全には発揮仕切れていないような気がします。今後のイーサリアムへの貢献はもちろんですが、それ以外の様々な分野でもその才能を見せてくれるのではないでしょうか。
ビットコインのホワイトペーパーを発表したサトシナカモトは言わずもがな世界に大きな影響を与えましたが、ヴィタリックも彼に匹敵するレベルの影響を与えていると言えるでしょう。
先ほど紹介した将来の目標に向かって邁進する彼の今後に要注目です!
記事ソース: Wired, Cointelegraph, Youtube