Platinum CEO Anton Dzyatkovskiy氏へのインタビュー -第1回 MicroMoneyを立ち上げるキッカケ-
   公開日 : 2018/07/05

Platinum CEO Anton Dzyatkovskiy氏へのインタビュー -第1回 MicroMoneyを立ち上げるキッカケ-

アラタ | Shingo Arai

2017年5月に仮想通貨への投資を開始。ブロックチェーンや仮想通貨の将来に魅力を感じ、積極的に情報を渋谷で働く仮想通貨好きITリーマンのブログを通じて発信するように。

今回、CRYPTO TIMESではPlatinum CEOであるAnton Dzyatkovskiy氏にインタビューを実施いたしました。

MicroMoneyは昨年にICOを実施したプロジェクトで、マイクロクレジット専用の金融機関を作ろうとするプロジェクトです。

今回のインタビューでは、PlatinumのAnton氏より、MicroMoneyを立ち上げようとしたキッカケ、ICOの支援事業を始めるにあたり、ブロックチェーンとICOに特化した大学を提供することなど、様々なことを語ってくれました。

今回、かなり濃密なインタビューなので、前編・中編・後編の3回に分けての公開となります。

Micro Moneyとは?

インタビューの前に、MicroMoneyの紹介を軽く触れておきます。

世界には100カ国で銀行口座を持たない人々が20億人いると言われていますが、これらの人々は、現在金融サービスにアクセスができないことが問題とされています。

現在の金融機関は、これらのユーザーの信用度についての情報を持っていないため、リスクであると考えています。しかし、これらのユーザーも資金が必要だったりするケースが度々あります。

MicroMoneyでは、このような人々が、既存のすべての金融サービスに接続し、全顧客の信用性を予測し、わずか15分で借り手がスマートフォンから人生初の融資を受けられるようにするサービスです。

現在では、OKExやBiboxなどの取引所にも既に上場済。Androidのアプリも既にリリース済みです。

MicroMoneyに関する詳細な記事も近々、紹介したいと思います。

Anton氏へのインタビュー -MicroMoneyを立ち上げ、ICOを実施するまで-

MicroMoneyを立ち上げるキッカケ

— はじめまして。アラタと申します。まずは、自己紹介をお願いします。

Anton : はじめまして。Antonと言います。私のバックグラウンドを軽くお話しますね。私が初めて仕事をしたのは、14歳のときでした。このときは、街の掃除をしてお金をもらいました。
その後、18歳で結婚をして、そのときに二人の子供を養子にしました。それと同時に、18歳で会社に入社をして、30歳まで働きました。
この会社ではずっと、営業をメインでやっていましたが、販売もやりましたし、社長にも任命されました。事業としては、主に中国、日本、シンガポールの電化製品をロシアで販売している会社でした。

— 最初は電化製品の販売の会社からスタートしていたんですね。

Anton : はい、そうです。私はシベリアの地域に住んでいました。この場所はちょうどロシアの真ん中にあって、ロシア全体をカバーするような働き方をしていました。因みにロシアでは10個ほどの時間帯があるんですよ

— なるほど。因みに現在はPlatinumという会社をやっていますが、どのタイミングで前の会社をやめようと思ったんでしょうか。

Anton : 実は27歳のときに既にミリオネアになりました。そして、30歳になったときに変化を求めるようになりました。そう考えだしたら、前まで働いていた仕事を辞めて、今後は金融関係で働いていきたいと思ったんですね。
で、新しい人生で成功するためには、今まで稼いだお金を全部捨てないといけないと考えました。
なので、2.4万ユーロ(約300万円)だけを残して、それ以外のお金は捨てて新しい生活をはじめました。

— え?ミリオネアになったのにお金を捨てたんですか?

Anton : はい、当時結婚していた奥さんに残りのお金を全部渡しました。そして、奥さんとは離婚をしました。

— そこまでの覚悟で新しい生活や変化を求めたってことなんですね。

Anton : そうです。生活を一転することで、お金の価値を考えることがかなり増えました。そして、更に新しく資産を作り直さなくては行けないと考えるようになりました。
生活を完全に変化させるには、国を変えてビジネスを行う必要があるかなと思い、カンボジアに引っ越しました。

— カンボジアにて金融関係のことをやろうとしたと。何でカンボジアでやろうと思ったのでしょうか?

Anton : 金融関係のことをやろうと思ったとき、私はカンボジアにて、オンラインバンクを作ることを最初に考えました。カンボジアには、オンラインバンクというものがそもそも無く、更にカンボジア国内ではアクセスできないことに課題があると考えていました。
我々の強みとしてはITの技術者であること、そして、ITインフラを作れることでした。さらに、物理的コストがあまりかからないアイデアが有りました。
カンボジアに行く前に、IT技術者が周りに多かったのもありましたし、技術者をカンボジアに連れて行くということは最新技術をカンボジアに持っていくというのを理解してカンボジアに行きました。

— なるほど、その強みを持ったまま、カンボジアに行って実際は上手く行ったのでしょうか?

Anton : なかなかうまくことが進まないことも多かったです。いくつか検討から外れてしまった課題もたくさん見つかりましたし、トラブルも起きました。カンボジアというのは、我々が考えていた以上にインフラがなかったんですね。
なので、オンライン銀行を作るということは、現地に銀行を作る、すなわちゼロからインフラを作り上げる必要がありました。更に、当初考えていたよりもコストがかなり掛かることがわかったのです。

二人の男性との出会い

— カンボジアで、金融関連の事業をやるにはかなりのハードルがあったわけですね。ただ、カンボジアに既に拠点を移していたと思うのですがどうしたのでしょうか?

Anton : 私達は、諦めずにカンボジアのミクロファンドや、いろんな投資期間を訪れながら、資金調達を心がけました。そんなように、資金調達を行おうとして色々と話している最中に私は、二人の男性に出会いました。その内の一人は日本人で、もう一人はカンボジア人でした。
その当時は知る由もなかったのですが、このカンボジア人の男性が、首相のアドバイザーであり、カンボジアでは物凄く偉い人だと後ほどわかりました。もう一人の日本人はMr.Tetsuji Nagata(永田哲司さん)でした。彼は後にMicroMoneyのアドバイザーにもなります。私は、カンボジアで彼らにピッチをしました。

— この二人との出会いが転機になったんですね。

Anton : はい。その通りです。私達は彼らのインキュベーターに入れてもらい、住む場所やオフィスなど全て提供してもらいました。
そして、その後はジョイントベンチャーを作りました。当時は15平米の場所に10人の社員を抱えてたが、その後はちゃんとした拠点を持つことができました。
ジョイントベンチャーを作る前の環境は本当に椅子とかもないくらいの環境でした。ここから、我々もだいぶ変わったと思います。

— ジョイントベンチャーを作った後はどうなったのでしょうか?

Anton : カンボジアだとマーケットが小さいので、カンボジアを超えた環境でやることに決めました。カンボジアに続き、ミャンマーで第二の支店を作りました。ミャンマーで支店を作った後は、チームの人数も5倍になりました。
カンボジアと比べると、ミャンマーはかなり大きく成功しました。その後、タイ、インドネシア、スリランカの展開もしようと考えました。
そして、本社をタイのバンコクにも移し、フィリピンにもオフィスを出しました。この後、2017年にICOをすることを決めました。


PlatinumのAnton氏がICOの支援事業を始めようと思ったこと、その内容に関しては次回公開予定です!

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